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天神さん;携帯小説

天神さん,菅原道真さんを携帯で気軽に読める小説に仕立てました。
モバイスでも読んで下さい。

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2024/03/19(Tue)11:26

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天神さんって

2007/10/10(Wed)19:03

菅原道真公

 天満宮にお祭りされている菅原道真公は承知12年(845)に生まれ,延喜3年(903)に亡くなったのです。平安時代の初期で今から1千年以上前のことです。延喜とは あの延喜格式のできた時代です。懐かしいですね。中学校以来ですか。格式とは“きゃくしき”と読み,いわば法律の一種です。“格”は律令の改正補充をしたもの,“式”は律令の施行細則です。ただ 当時の法律の概念は今のものとは 多少趣が違っていて,宮中の式典の慣習の規準書のようなもので,宮中の年中行事の式次第とか諸官庁の慣行例とかも書いているそうです。延喜格式の他に弘仁格式,貞観格式などがあります。
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No.4|天神Comment(0)Trackback

天神信仰-2

2007/10/08(Mon)08:00

 先日,私の友人から聞いた話ですが,この辺りで ある若い女性に「天神さんはどこですか」と尋ねたら,彼女曰く,「お祭りの屋台が出るのは川筋だけれど天満宮の場所は知らない」ということだったようです。これでは菅原道真公も梅の木陰で泣いているのではないでしょうか。そこで ちょっと私なりに調べたことを書いてみようと言う気になりました。記録に残したら 誰かに読んでもらいたいのは人情です。硬軟織り交ぜて 数回に分けて書いてみようとおもいますので ちょっとおつきあい下さい。
 もし間違ったことなど書いておれば ご一報いただきましたら幸いです。

No.3|天神Comment(0)Trackback

神道の略史

2007/02/22(Thu)01:59

鎌倉時代には両部,山王一実,伊勢諸神道が起こり,室町時代には唯一神道が唱えられました。江戸時代には儒学と結びついた理当心地,垂加,吉川の諸神道が盛んとなり,一方,本居宣長の復古神道が興ったのもこの時代です。末期には富士講,黒住教,天理教,金光教など教派神道が生まれました。明治維新と共に神仏分離令が出され,新政府は神社を国家の宗祀とし,祭祀を国家中心で行うこととし 廃仏毀釈の風が日本全国を揺さぶったのです。そして  第2次世界大戦後1945年のGHQによる「神道指令」で,神道は国家行事から切り離され今日に及んでいます。
 今から30年ぐらい前の家では,仏壇と神棚が祀られていたと思うのですが,それが神仏習合の名残りですね。最近は住宅の面積も小さくなったためと住意識の変化でそこまでしていない家もあるようです。

No.36|天神Comment(0)Trackback()

神道

2007/02/21(Wed)20:54

  話を元に戻して 律令体制のもとに朝廷では 神祇官がおかれ社格の決定,神領,封戸の献進,幣帛の供進が行われ,宮廷儀式として制度化していきました。神領,封戸の献進は 荘園制のはしりですね。平安時代には仏教と習合して本地垂迹説が現れました。懐かしいですね。中学の時に習ったでしょう。本地垂迹説とは 「菩薩やブッダが仮に神の姿をとって垂迹する」という説です。垂迹とは 仏が衆生を救うために生まれ変わってこの世に出現することです。ですから,お釈迦様と大日如来とが対応し,○○菩薩と◇◇如来とが対応するという説です。この考えは奈良時代からあったようですが,平安時代に一般化したようです。

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